以前にお寄せいただいたメール相談の中で、「家に帰っても、自分の食事は用意されてないし、それどころか、自分が休める居場所もない、家族からも疎外されている。いったい自分は何のために働いているのか」という悲しい訴えを切々と綴られていた方がいらっしゃいました。
もちろん、ご家庭それぞれの事情もあるでしょうし、一概にご飯があるとかないとか、そういうことで幸せが推し量れるわけではありません。
奥様が育児の真只中にいるとか、共働きで家事をする余裕がないとか、ご主人の帰宅が不規則で食事が準備できないとか、いろいろご事情があるケースも多いです。
でも、ここでお話したいのは、そういうやむをえない事情がある場合のことではないのです。
私がここであえて取り上げたいのは、たとえば食事にしても、ほかの何かにしても、自分の分だけが用意されてないという状況から感じる、家族の中から外されているような疎外感、わびしさが、「自分は本当に家族に愛されているのだろうか」とか、「自分が頑張っているのはいったい何のためなんだろう」というような、報われない気持ちに繋がっている、ということが、問題であるといっているのです。
まして、自分が一生のローンを背負って建てた我が家で、あるいは、月給の3分の1を家賃として支払っているお住まいの中で、自分がゆっくりできる居場所がない、というのは、いささか可哀想だと思うのであります。
「家が狭いんだから仕方ないじゃない、お父さんの部屋なんて無理よ」
そういわれる奥様もいらっしゃるかもしれませんね。
でも、問題は、お父さんの部屋があるとかないとか、そういうことでもないんです。
お父さんを含めた、家族の一体感があるかどうかが問題なのです。
たとえば、奥さんとお子さんが一緒にケーキを買おうとしているとします。
お父さんは会社でお仕事ですから、当然、そこにはいません。
でも、ケーキを買うときに、ごく自然に、「じゃあ、これはお父さんの分ね」といって、お父さんの分をひとつ、買ってきてくれること。
そんな、あたりまえの小さなこと。
でも、そういう気持ちが嬉しいし、家族がそういう思いを持ってくれていること、
そうした一体感を実感できることが、お父さんの心の活力につながっていくものなんです。
もしかしたら、お父さんは甘いものがキライかもしれません。
もしかしたら、お父さんは甘いものがキライかもしれません。
ケーキなんて食べないかもしれません。
でも、それでもいいんです。
そのとき、奥さんや子供たちの会話や、買い物という行為のなかに、ちゃんと「お父さんがいる」、ということ。
そういう意味で、家族の中に、ちゃんとお父さんの居場所がある、ということが大事なんです。
そして、それが日々、実感できていること。
夫婦なら、当たり前のことのように思えますが、相手の心の中に自分がいない、という悩みを寄せられる方、意外に多いんですよ。
こんな例があります。
これは、ある新婚のご夫婦なのですが、奥様がお買い物に出かけて、「ねぇねぇ、素敵なコーヒーカップをみつけたのよ」嬉しそうに、それをご主人に見せました。
包みの中には、花柄のピンクのコーヒーカップ、ひとつ。
ご主人は、思わずいいました。
「あ、あれ? 僕のはないの?」
「だって、こういうものって、好みがあるし、あなたはあなたで自分が欲しいものを買ったほうがいいでしょ」
「え・・・・・う、うん・・・」
ご主人はがっかりしてしまいました。
コーヒーカップを買ってきてくれなかったからではありません。
奥様が、「あなたはあなたで・・・・」という、セパレートタイプ(分離型)の思考で、夫婦というものを考えていることに、がっかりしてしまったのです。
もしも奥様が、「あなたとおそろいのコーヒーカップ、買っちゃった」といって、たとえ安物でも、ペアのカップを見せてくれたら、「ああ、彼女は自分を一緒に思っていくれるんだな」という夫婦としての、一緒の気持ちが伝わってきて、どんなにか嬉しく、喜んだことでしょうね。
こんな話、ささいなことだと思いますか?
でも、こんな些細な行為のひとつひとつが長年の間に積み重なっていって、「妻の愛情が感じられない」とか、「妻の心の中に自分の存在がないように感じる」という理由をもって、離婚を望む男性も現実にいるのです。
おそらく、当の奥様にしてみれば、「えっ、なんで?」と思うくらい、それは意外なことかもしれません。
でも、物言わぬご主人の心の中には、「夫婦って、こんなものなんだろうか」という失望にも似た気持ちが悶々と広がっているんですよね。
でも、ほんとの夫婦って、こんなものではない、はずなのです。
もしもあなたのご主人がその失望を今、味わっているならば、その修正のために、まずはあなたができること、これからの夫婦のありかたを、いちどお考えになってみてはいかがでしょうか。
それによって、夫婦関係の修復に繋がったケースは、少なくないのです。